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今日は家で家族と過ごしました。
1万9千人。心に置きながら、一歩前、一歩前と歩いて行かなければいけないと思います。


最初の一週間を、書き起こしてみました。けっこう忘れてる。
以前の日記と重複してますが、一応置いておきます。
あったような、なかったような。
犬猿戦国パラレルにひっそり滾ってた頃がありましてねぇ。
年の差身分違いの地味ーな感じの話で。
出会い編が出てきたのでひっそり置いておきます。
お久しぶりです。かのやです。

落ち着いてきたといえば落ち着いてきたし、震災以前の日常とはほど遠いといえばほど遠いです。
なんだか、沿岸部や福島のことを思うと、自分の家で寝泊まりできるだけでじゅうぶん贅沢な日常生活なんじゃないかと思ってしまいますが、落ち着いて見回すとけっこう、えらいめにあってるなぁと思います。

まず、団地内ボッコボコというかガッタガタです。
梅雨やら台風やらでうちの裏の山が崩れませんようにと天に祈る程度には。
私の住まいは仙台市の内陸部、40年ほど前から開発された団地で、地名に「丘」がつく通り、起伏の多い土地。
で、今回の地震で、丘全体がちょっとずつずれました。
隣家との塀の隙間が5センチくらいあったはずが1センチになってね? とか、うちの雨水用側溝潰れてぺしゃんこww とか擁壁撓んでるよね、膨らんでるよね、とかそういう状態です。
かなりの割合の宅地が「要注意」判定を受けています。玄関に黄色い紙貼られちゃった。
一軒一軒は私有地ですが、被害を受けた部分は全部繋がっておるので、話し合いながらうんうん悩んでおります。
市内そんなとこだらけと思います。
自宅の目の前の市道は崖側半分が陥没しており、数日前から工事中が始まりました。一千万円以上かかるようです。

市内内陸部のライフラインはほとんど復旧と見せかけて、実は下水処理施設がまともに機能していないため、県が毎日テレビCMで節水を呼びかけています。
節水というか、下水に水を流さない努力をしなくてはならない。汚水をちょっと沈殿させて、消毒液撒くだけで海にどぼどぼ流している状態だそうです。
トイレの水はなるべく流さないようにしてます。なるべくっていうのは小水の時は流さないということです。トイレットペーパーも流さないで燃えるゴミに出す。
洗濯やシャンプーの回数も減らしています。
ラーメンの汁も捨てずに頑張って飲んでいます。

仕事は震災直後に比べればだいーぶ落ち着いてきましたが、例年に比べると倍~3倍の仕事量です。
家を流された人も家族を流された人も家が潰れた人も家は無事なのに放射能に追い立てられた人も仕事をなくした人も毎日来ます。
仕事の流れでほとんど必ず住所をうかがいます。
荒浜、蒲生、閖上、女川、石巻、野蒜、矢本、志津川、歌津、気仙沼……あたり、よく耳にします。
ほとんどの場所に訪れたことがあります。地名を聞くだけで切ない気持ちになります。そこがどんないいとこだったか、私は知ってる。潮風に癒された思い出が、ある。
福島からの方は、もう、本当に気の毒と、気の毒としか。


そういえば、個人的な被害状況をあまり書いてませんでしたね。
自宅は一部損壊です。基礎部分四隅に亀裂が入りました。多分梁もやられてます。廊下ミシるので。
玄関の立て付けおかしくなりました。トイレの鍵閉まらなくなりました。壁紙はあちこちヨレて、和室の壁はボロリラ落ちとります。駐車場は亀裂だらけだし、擁壁は撓んでます。
水道止まって水をやれなかったので、鉢物かなり枯れました。
私の部屋は薄型本棚が真っ二つになりました。他の本棚も穴開いたり歪んだり。あと本棚が刺さって壁に穴が開きました。PS2が壊れました。割れ物被害いろいろ。

PCとTV壊れなかったのはほんと幸運でした。
今日はこのへんで。
おかげさまで、本日、ガスが来ました。
3月11日、地震直後から電気とガスが、夕方から水道が止まりました。
夜は余震に備えて懐中電灯を握りながら20時には就寝、朝は早いうちから水汲みにタンクを一輪車に乗せて出かけ、と自分の生活のことばかり考えている間に、津波の映像は世界中に広まり、原発は屋根が吹っ飛んでいました。

我が家では、3月14日夜に電気が、3月17日日中に水道が、そして今日、4月14日にガスが戻りました。
こうして振り返れば、不便な時期はほんの少しだったのだなと思います。
電気が来ない間はかなり不安で、水が来ない間は本当に不便でしたが、この一ヶ月、幸いにも、飢えることも乾くこともなく、体調を崩したのは恒例の月経の間だけで、仕事を休むこともありませんでした。
「便利ではない」という意味で不便な日々でしたが、私の場合、生きるに支障はなかった。幸運でした。

一ヶ月と三日ぶりの、慣れた湯船に足を伸ばしながら、家を失った方、避難所の方のことを想いました。
つま先まであたたまる、この幸せな感覚を、あの方たちはいつ得られるだろうかと。
いますぐに分けてあげたい、と想ったし、この幸福は今私に必要だろうかと考えました。

考えたところまでで今日は限界おねむです。
明日も仕事です。
このような時に、この街に住む人にとって必要不可欠な仕事、に半端な立場ながら携わっていること、本当に幸せだと想います。
頑張ります。
 
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