おかげさまで、本日、ガスが来ました。
3月11日、地震直後から電気とガスが、夕方から水道が止まりました。
夜は余震に備えて懐中電灯を握りながら20時には就寝、朝は早いうちから水汲みにタンクを一輪車に乗せて出かけ、と自分の生活のことばかり考えている間に、津波の映像は世界中に広まり、原発は屋根が吹っ飛んでいました。
我が家では、3月14日夜に電気が、3月17日日中に水道が、そして今日、4月14日にガスが戻りました。
こうして振り返れば、不便な時期はほんの少しだったのだなと思います。
電気が来ない間はかなり不安で、水が来ない間は本当に不便でしたが、この一ヶ月、幸いにも、飢えることも乾くこともなく、体調を崩したのは恒例の月経の間だけで、仕事を休むこともありませんでした。
「便利ではない」という意味で不便な日々でしたが、私の場合、生きるに支障はなかった。幸運でした。
一ヶ月と三日ぶりの、慣れた湯船に足を伸ばしながら、家を失った方、避難所の方のことを想いました。
つま先まであたたまる、この幸せな感覚を、あの方たちはいつ得られるだろうかと。
いますぐに分けてあげたい、と想ったし、この幸福は今私に必要だろうかと考えました。
考えたところまでで今日は限界おねむです。
明日も仕事です。
このような時に、この街に住む人にとって必要不可欠な仕事、に半端な立場ながら携わっていること、本当に幸せだと想います。
頑張ります。
3月11日、地震直後から電気とガスが、夕方から水道が止まりました。
夜は余震に備えて懐中電灯を握りながら20時には就寝、朝は早いうちから水汲みにタンクを一輪車に乗せて出かけ、と自分の生活のことばかり考えている間に、津波の映像は世界中に広まり、原発は屋根が吹っ飛んでいました。
我が家では、3月14日夜に電気が、3月17日日中に水道が、そして今日、4月14日にガスが戻りました。
こうして振り返れば、不便な時期はほんの少しだったのだなと思います。
電気が来ない間はかなり不安で、水が来ない間は本当に不便でしたが、この一ヶ月、幸いにも、飢えることも乾くこともなく、体調を崩したのは恒例の月経の間だけで、仕事を休むこともありませんでした。
「便利ではない」という意味で不便な日々でしたが、私の場合、生きるに支障はなかった。幸運でした。
一ヶ月と三日ぶりの、慣れた湯船に足を伸ばしながら、家を失った方、避難所の方のことを想いました。
つま先まであたたまる、この幸せな感覚を、あの方たちはいつ得られるだろうかと。
いますぐに分けてあげたい、と想ったし、この幸福は今私に必要だろうかと考えました。
考えたところまでで今日は限界おねむです。
明日も仕事です。
このような時に、この街に住む人にとって必要不可欠な仕事、に半端な立場ながら携わっていること、本当に幸せだと想います。
頑張ります。
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