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してたんですが。

昨夜、友人がうつのどん底でパニくっていのちの電話に縋ってみたら酷い説教をされて更に落ち込んで私が電話に出なかったらリスカOD救急車状態に追い込まれるとこだったんです。
いのちの電話に電話してかえって酷くなったよう、どうしようたすけてみたいな電話、これで二件目。(しかも別々の子から)
おいおいおい私の周りだけでそんなに被害報告が!
と怒り心頭。二人とも死にたい感倍増、て感じでしたので。
どうなってんだいのちの電話!
怒って、ここはつっこんでやろうと思いました。
私はいのちの電話を利用したことがないので、実際にどんな雰囲気で繋がるのかわかりません。
わからんことを調べるのは骨なので、まずは体験、というわけで利用してみましたいのちの電話。
いやそれひやかしだろとは言わんでください。私だってしょっちゅう死にたくなってんですから。ほんとにアテになるのかどうか、確かめたっていいでしょ?
自分が限界まで追い詰められた時のことを思い出して、電話をしてみました。
どんなダメっぷりでも、現実として真摯に受け止めようと思いながら。

そして電話に出た人。

す げ え いいひとでした。


きちんと「受容の姿勢」のできた方で。
一般常識を押し付けない方でした。
「無理に眠ろうとしなくていいですか?」と訊く私に、
「いいんだよー」と答えてくれました。

うーん、この人にならほんま死にたい人でもちょっと待て、をかけられるかもしれへん。
つまり、やっぱりアタリハズレってことなんだろうなあ……


どうでもいいですが関西訛りな方でした。
実際に、相談員の選抜や育成がどうなされているのか、ちょっと調べてこようと思います。地域差もあるかもしれないですし。あと教授が捕まれば意見を訊いてきます。


というわけで、「いのちの電話」に関する情報を求めます。
利用したことのある方、または身近に利用したことのある人がいらっしゃる方、どんなささいなことでもいいです、その時のことを、よろしければ教えてください。


私は情報をもとめに、行きたくないけど、学校行って来るです。
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別に運営しているサイト(二次創作サイト)のほうで本バトンをもらったのですが、せっかくだからこっちでものっけてみようと思います。そのまんま。

■■本バトン
■持っている本の冊数
まず「本」の定義をしないといけないですよね。コミックや同人誌は「本」に入れないと考えて……専門書はこのバトンの主旨的に本のうちに入るでしょうか。「新心理学ライブラリ」シリーズとか、「学校に生かすカウンセリング」とかそういうのは……悩。あと辞書は本に入るでしょうか。「読み物」じゃないから入らないのかな。辞書辞典40冊くらい持ってるんだけどな。あと図鑑は? かつて親が私のために買ってくれた本も「持っている本」のうちだよねえ……家族共有の本は抜かすとして……
とか言う前に、実家に帰らないとよくわかんないし、数えるだけで数時間かかりそうに思います。屋根裏にもあるし。
とりあえず自分用の本棚は4つ持っています。マンガはすぐ増えるので本棚には入れてない。

■今読みかけの本 or 読もうと思っている本
これは専門書の名前をあげても誰も興味ないと思うので、小説でいこうと思います。
読みかけなのはヘミングウェイの「武器よさらば」。と「レ・ミゼラブル」の完訳版。忙しくてなかなか続き読めない~。のと、文庫でも値段が高いので続きが買えない。(涙)
読もうと思ってるのはそうだなあ……本命的にはパールバックとドストエフスキーと今更ながらヘッセ。あと山崎豊子が読みたいな。白い巨塔もそろそろいい頃合かと。あああ二週間くらいヒマがほしい。この手の本は一気に読まないとわけわかんなくなるから。……ていうかドストエフスキーは自分で相関図書きながらじゃないと絶対読めない(笑)。名前覚えられないんだもん。
次点的には最近流行りの本とかここ数年の芥川賞直木賞をチェックしたい感じです。誰か貸してください。買う気ないから。

■最後に買った本
最後に買った本……専門書と新書です。ていうか気づけば新書ばっかり買っている。論拠のはっきりしない文章が苦手になりつつある自然科学主義に染まりかけの心理学人間です。苦笑。新書は自衛隊関係とかLD・ADHD関係とかマルクス主義について考察する本とか。
小説はなんだろうな~読みかけの「武器よさらば」と同じくらいの時期に講談社文芸文庫の「日本の童話名作篇~明治・大正篇」買ったんだっけかな。これすごく面白いです。そういえばこれも読みかけかな。短編集だから。明治の文章はちょっとレベルが高い(現代的文章でない)ので、興味ある方は昭和篇とかから読んでみるといいんじゃないかと思います(私は持ってないけど)。このシリーズそろえたいんだけど、文庫のくせに1300円だよ……くっ。

■特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで)
無理……5冊って無理……絶対無理……思い出せばどの本も面白かったもん……せめて作家で答えさせてくれればいいのに。というわけでルール違反をさせていただきます。堂々と。
絵本:ミース・バウハウス+ベジュリフ・フリッタ「トミーが三歳になった日」/斎藤隆介+ 滝平二郎「花さき山」/ビアトリクス・ポター「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」/小野 和子+箕田源二郎「七つ森」/古田 足日,+堀内 誠一「ロボット・カミイ」
児童向:ケストナー「飛ぶ教室」/ジュール ベルヌ「二年間の休暇」/スティーブンソン「宝島」/ マーク・トウェイン 「トム・ソーヤーの冒険」/シートン「シートン動物記」
日本:宮沢賢治「飢餓陣営」/山崎豊子「大地の子」/中島敦「文字禍」/芥川龍之介「蜘蛛の糸」/灰谷健次郎「兎の眼」
海外:ユーゴー「レ・ミゼラブル」/ミヒャエル・エンデ「鏡の中の鏡」/アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」/ローラ・インガルス・ワイルダー「長い冬」/アーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記(特に外伝)」
辛かった……ほんとはもっと書きたいよう……。それぞれに解説してたらとんでもなくなるので割愛。
興味おありでしたらこの本どうでしたかっと訊いてください。嬉々として答えます。この本知らないですとかあったら自信を持って推薦文を書かせていただきます。うん。

■バトンをまわす人
ずっと休業中だったのでどなたがご覧なのかわかりません(苦笑)。
ので、テイクフリーで。見ちゃった人はやってみてくださいv
サイトお持ちでない方はここのコメント欄でやってもいいですよvv
前にしたのが7月の31らしいので、3ヵ月半ぶり? 
でも血が出るくらいしたのを複数切ったは半年以上……もっとかな。
一年前は、切るのをやめられない自分が情けなくて、嫌いで、やめよう、やめよう、切らずにいられないのは仕方ないことだけど、でもやめよう、って思って、凄く辛かったですが。
今は、いろいろ考えて、苦しいまま蹲っているよりも、切って気持ちが引き締まって外へゆけるなら、それでもいいかと結論を出したんです。
リスカを肯定してるんじゃないです。
でもね、私この二年で、過去への旅はやりつくした。多分休養も充分じゃないにしろ、立ち上がっていいくらいにはとった。
なんでまだ辛いのかっていうと、生産するエネルギーを作り出せないからだと思うの。
それは多分明確な目標がないから。
大学をきちんと卒業する、っていうのは確かに目標なんだけど、それだけじゃ私を突き動かすには足らないらしい。
もっと理由を。夢を。
夢を持ちたい、なんてこんな、20超えてから思うとは信じられないけど(苦笑)。
まともな大人たちが、こどもに夢を持て、夢を持て、って言う、その理由がわかったように思います。
傷物になった人間が、それでも生きて、その上で何かを成したいと願ったら、夢、とでもいえるくらいの大きな原動力が、必要なんじゃないかなって思う。
生きていくだけなら、迷ったままでもできるけれど。
今の自分に必要なのは、出会いと行動だ、って思ったら。
家の中引きこもって一人っきりで、薬に頼って腕切らないで、頭ぼんやりして、布団の中で震えて、苦しんで、一日まともに食べずにいるよりも。
腕を切ることで少しでも楽になって、その分で学校に行って、友だちに会って、話して、笑って、ちゃんと学食で何か食べて。のほうが、いいんじゃないかなって。
そう思ったものだから。
もちろん切らずにすめばそれにこしたことないけど、私は傷ついてるんじゃなくって、踏み出そうとしてるんだと。
そう思いたいし、思ってもらいたいなと思うのでした。

今日はそうやって、授業には間に合わなかったけど、ゼミの飲み会には行ってきました。
薬のこともあるし一切アルコールは飲んでないけどね。ずっとカルピス(笑)。
学校に行きたくなるように、みんなの顔を見よう、って。
うん、学校行きたい。行きたいぞ。きっと、明日も、来週も、学校に、行こう。
なるったけ。
サルベージ日記ふたたび。



別にそんなこと変だと思ったりしなくていいんだけど、時々は自分と他人の相違を自覚しておかないと、無神経に自分の価値観を他人に押し付ける人種になってしまいかねない。
価値観の押し付けというのは実は私はしょっちゅうやっているんだけれども、押し付けていいこととそうでないことを意識しておかないときっといつか恐ろしいことになるだろうなあという自覚はある。
私は表向きかなり強引で自己中な性格をしています。
多分、うんと嫌われるのとうんと好かれるののギリギリ境目を突き進んでいる。
計算とか演技とかではないけれど、そこは一応なるべく見極めるように考えながら人と接しています。や、人と実際接してるときは何も考えてないけど、一人の時にはそういうことを考えるようにしている。
何でそんなことをするのかといえば、いざというときに言葉に説得力のない人間にはなりたくないからです。余計な遠慮のないむき出しの人間だと認識していてもらいたい。
そんなに頭のいい人間ではないので、ふだんは多くを語らず、大事なところだけきちんとカタチにする、みたいなスマートなことはできない。だから、せめて日常と矛盾しないことで大切なメッセージを真に受け取ってもらいたいのです。言葉と生き様の一致で人を納得させたいというか。
だから、できることをできないふりはしないし、自信があることはきっぱり胸をはる。
すごく鼻につく生き方だろうなあとは思いつつ。
でも、それは楽しいからとか優越感に浸れるからとかそういう幼稚な動機でやってることじゃなくって、誰にでもできることだよ、あなたにもできることだよ、っていうことしか私は誇らないようにしているんです。
たとえば、「私なんかダメだもん」とか言う人に私は真顔で「なんで?」と言うわけですが、その人がほんとうに魅力的になりたいならなれるに決まってるからそういう確信があるからこそ、そういうある意味残酷な突き放し方をするわけで、「私は魅力的よ~うふふふ」と笑顔で言うのは嫌味でも自慢でもなくって、「あなたの対等の友だちである私にできることなのだからあなたもできるはずだ」というメッセージなわけです。これ実際言葉にするとすげえチープな気休めになるから絶対言わないけど。
ただ、こういう態度って、本当にいつも自然にやっていないとものすごく嫌味になるわけで(ここで文章になってるの見るとほんと嫌味にしか見えないしね)、ゆえに私の日常はかなりモロ出しなわけです。自分の価値観を隠さない。自分の価値も隠さない。
そんなこんなで私は普段ほんとのことしか言わないので、不用意な態度一言がすごく他人を動揺させるわけなんです。
そういうことが続けば相手は私が何を言い出すかわかんなくて怖くなる。そういうのはよろしくない。
私が普段すごく無神経なのは、自分を装っているととたんに誠実さが減っていくような気がして自分が怖くなるのと、上記のように説得力のある生き方でありたいというのと、あと私の存在を気負わせないため。私の言葉はきっとすごく人の中に残るものだと思うのだけど、私が口にすることは私の中では定理なので、私に依存しないと成立しないといった類のことではないのです。
ちょっとわかりにくいな……うーん。
人に励ましてもらったり、慰めてもらったりすると、けっこうその励ましなんかの内容よりも、その人の気持ち、が作用するじゃないですか。どんなありきたりの言葉でも、なんでも、とりあえずはその気持ちに支えられる、というか。そういうのって、すごくその「人」の存在に依存するわけですよ。それで、ああ、有難いけど、悪いな、って思う。私は受け取ってもらうものについて、なるべくその「悪いな」っていう感覚を持たないでいて欲しいわけです。私はいつもの私でいただけで、何かを特別にあなたのために用意したわけじゃない。そういう感覚なんです。



ああああああそうか!(最近の悩みが氷解)
振り返る時間を、自分に課そうと思います。
多分去年の今頃だと思うんですが、その頃に書いて持って行くところがなくて困っていた日記を発掘したのでここにて処分しておきます。

私を造ったのなら私と同じくらい強くなれるはずだ。と断定するのは残酷だろうか。
自分と母親の距離を測り損ねています。
正直、私は自分をそれなりに強いと思ってて、というかここでそれなりってつけるのが実は謙遜であって、もうそりゃめちゃくちゃ強いと思ってるんですが(言っちゃった)、それは生きてる以上当然身につけうる強さなので別に特別ではないと思うんです。
でもそういう強さを自覚する時点で、人にとって母にとって私がどうしようもなく遠い存在だったらそれは途方にくれるなと。
私がじゃなくて。母が。
途方にくれられたらどうしようと思ってもっと強くなればいいのにと言いたいけど言えずにいます。
形式的儀礼的に愛されていなくても私は自分がちゃんと人を愛せることを知ってるから、凭れあうような縺れあうような愛はいらないし別にあげようとも思わないけれど、それをくれないと詰られてつまり欲しいと懇願されてどうすりゃいいんだろうと思う。
真綿で包むような愛をやれないわけじゃないけど、そんな味もわかんないような愛でいいのか。
私はよくないけど、ふつうの人はらくちんで型どおりの愛があるほうがいいのかなあ。
慣れれば私の愛も大変なわけじゃないんだけどなあ。
私の愛を理解させて慣れさせるにはお互いの手間と忍耐が必要で、真綿のようなふつうの愛でやり過ごすのに必要なのはおそらく私の手間だけなんだけれども、どっちを選ぶのがよりいいだろうか。

わけわかんない話ですいません。これでわかったら苦労しないもんね。

ただ何から何まで報告して説明して理解して把握してもらうのが愛じゃないと思う。
わかんないことでもまあ信じてるからいいよ、悪いことじゃないんでしょって手ェ抜いてほっとくのも愛だと思う。
めんどくさいことはめんどくさい、でいいじゃん。それくらいの未熟は楽しむくらいでいいじゃないか。
私は甘やかさないし親切でもないけどまあ気持ちの上では裏切らないでいるつもりだし基本的に愛してるつもりだ。
自分の都合のいいように解釈するってんでなくて、お互いの気持ちがいいように信用するっていうか。

っていうのを理解してくれる強さが誰にでもあればなあと思うんだ。お、そこそこわかるように書けた。
でもあの人はわかっちゃくれないんだよな……理解くらいして欲しいよな……実践しろとは言わないから。
ただこれを理解させるってことは説明するってことで、要は貴方と同じような愛し方は私はしませんよと宣言することになるわけだから、それは大丈夫かなって考えてるんです。

めんどくさいなあ。どうして合理的に生きないんだろう。
無駄なく楽しいほうがいいじゃんか。苦労すんのはかまわないけど、それで何もなかったら浪費だね浪費。浪費ってのは犯罪だね。地球に申し訳ないもん。
生まれてきた以上は最大限に謳歌しないとよ?
って傲慢なくらいに強く思えばいいんだ。

あーでも母があと40年生きるんだとしたらわかっててもらう方がなんぼかいいかな。
じゃあなるべく遠回りのない合理的でわかりやすい説明でも考えるかな。



今どうなってるかというと、そんなややこしいことを一々穿り出して向き合わなきゃいけないほど衝突がないので、穏やかに済んでいます。
 
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