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父と工芸の話をすると、父があんまり嬉しそうにするので、ものをつくる仕事人にはどうやったらなれるんだろうと思って調べてみようとしたんだけど、さっぱり調べ方がわからない。
学校の勉強しかしてこなかったおこちゃまのままなんだなあ。遠い目。
自分が高校生だったらとりあえず専門学校とか芸術大学とかを調べるんだろうなと思って、そっちのほうの学校とか見てみたんだけど、入試の内容を見ておののいた。
実技しかねェー!!
が、学科は!? 学科ないの!? 日本史とか英語とか数学とか!!
今までの自分がまったく通用しない世界なんだと実感した。
勉強ってなんのためにするんだろう?
私、勉強しかできないよ。
絵なんか描けない。

と、とても現代人っぽい科白を吐いてみたりしてね!
勉強もそれほどできるわけじゃないしね!

なるほど学校に入るためには予備校に行かなくてはならないのか、と5年前ならあっさり納得できた事実を目の前にうんうん呻っています。ものを学ぶにはお金がかかるんだなあ。

あ、国語と数Ⅰとデッサンで受けれるとこがある……いいな……数Ⅰならぶっちぎりで稼げるよ……



「出会うのが遅すぎた」
という言い訳をとりあえず横に置いてみたら、いろんな世界を考えるのは楽しかった。


問いかけられれば誰もが言うだろう、言葉だけなら自分でいくらでも出せる。「遅すぎることなんかない」とか。
誰だってそう答えるということは、誰にだってそう答えるということだ。
現実として私を見て、私の親の老い方を見て、「遅くない」と誰もが言ってくれるだろうか。

……ハハ、みんな言うだろうな。容赦なく。(項垂れ)



かといって心理の世界に入りたくなくなったわけじゃないんだー。
でも工芸の方が今は楽しそうに見えるんだー。
まだ焦んなくていいらしいから、いろんなものを見てみようね。
盛り上がりやすい自分に要注意しつつ。な。
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酸欠の金魚みたいなかのです。こんばんは。
ここ三日四日、降血週間だったのもあるとは思うんですが、「あ~、鬱? 今鬱? 鬱ってこんな感じだったっけ~? あーこんなカンジかーはーしみじみ」みたいな感じで。
腕もそこそこざくざくと。(あちゃー)

ずーっと、もう何も問題はなくて、あとは体力を戻すだけだと思ってたんですが、まだ頭の中に、腰据えて構ってやるべき問題が残っているのかもしれません。
ゼリーの材料は全部揃えて溶かしたんだけど、まだゼラチンが入ってないみたいな感じ。(精一杯の例え)

具体的にいうと、確かに、前まで私を苛んでいたものがなくなって、すーっと楽にはなったのです。
何がなくなったかというと、人への―――親や環境に対する、ウラミツラミ、であるとか、不満であるとか、そういうものに煩わされることがなくなったなあと思います。
でも、そういうものがなくなっただけで、私はまだ、自分自身のことはまだまだまだまだわかっちゃいないんじゃないかと。


十月の下旬に、清水真砂子氏の講演を聴きに行って、初めて気づいたことがありました。
私は傷ついた子どもだったということ。

児童文学のお話をしていてね、清水さんは、「戦争のことを子どもに教えるのは、生きる喜びをじゅうぶんに知ってからでいいと思う」っていう内容のことを仰ったの。
雷に打たれたみたいにショックだった。
就学前から私は文字に親しむのが早い子どもだったし、ひとりでお留守番することが多かったから、たくさん本を読んで育った。
おこりじぞうも、ガラスのうさぎも、猫は生き残ったも、かわいそうなぞうも、トミーが三歳になった日も、ひろしまのピカも、ちいちゃんのかげおくりも、もっといろいろあった、絵本を自分で読んだ。何度も読んだ。ヒロシマの写真集もあった。痛々しい写真を手の平で覆いながら、全部の日付を、文字を、ちゃんと追った。小学校一年生のころには「はだしのゲン」を全巻読んだ。

早熟、という言葉を痛々しく思う。今の私は。
大人の言葉を当時の私が使えたとしたら、何を言うかと思うと背中が寒い。

「わたくしごときが平和を甘受する罪悪感」、

とでもいうものを日々背負って生きていたように思う。
どれだけ自分が恵まれているかを知っていた。ゆえに逃げ場はなかった。
如何にして報いるか、とか、恥じることなく生きられるのか、とか、いつも考えていた。
たくさんの命を踏みつけて自分が立っていることを知っていた。幸せになるのは義務だと思った。


知って在る必要はあったのか?

5つや6つの子どもが。
今になってそう投げかけられれば、詰まって答えられない。
私は知っていたし、教えてくれた両親に感謝していた。
文字が読める人間なら、そういったことは知って当然だと思っていたから。

これから私が、養育者の立場になる時には考えなければいけなくなるなと思う。
がまあ、それの是非は今はいいや。


とにかく、こんな感じで、ああ私は傷ついた子どもだったんだな、と思ったのでした。
幸せになるのは義務だと思ってた、というあたりが、その後成長していく上でさらに私を傷つけたんだろうと思います。幸せじゃなかったから。自分はダメな子だと思ったんじゃないかな。でも、自分はダメだと思うことは親をダメだと思うことだから、いろんなことのせいにして……こう……
苦しかったんだよなあ。


そういう事実を、まだまだ掘り起こさなきゃならないのかもしれんなー。
終点まであとどのくらーいーだー。

年明けに先生と相談してくる予定ダス。



ところでハルシオンにリコールかかりましたね。
……まだ飲んでない薬、薬局に持っていったら払い戻してくれないだろうか……
おとつい……さきおとつい? ひっさしぶりに手首というか、腕を切った。
ものすごく鬱だったというわけではなく、夜中眠れずにもんもんとして、あ、いかん、これ明日になったら鬱になる、なるまえに切っとけ、みたいな感じで。
切ったらスッキリぐっすり眠れて明日は元気だという確信が何故かあって、実際そのとおりだった。
薄皮一枚しか切らなかったので、もう傷は古傷に同化してわからなくなった。

不思議なもんだとかきっとこれはああだとか語れないこともないけどとりあえず事実として記録。
そういえばこの間から眠剤が減りました。ハルシオン0.25mgから0.125mgに。
でも、薬代は10円しか変わらなかった……(笑


ななつのころの話を今まであまりしたことがなかったのでぼちぼちとしてみたいなあと思って、午前中玄関掃除しながらあれこれ考えていたんですが、半日経ったらなんかすっかり忘れました(笑)。
結論部分は残ってるんだけど、経緯を省いちゃあ意味が半減するだろう……

乗り越えても、まだ腰の辺りにひっついて引きずってる、ななつのころ。
忘れたい、消したい、なかったことにしたいと願った過去を、今は失くしたくないと思う。あれがなかったことなら、私は何のために苦しんだというのか、と思うし、やり直すことにしたってきっとまた同じ道を通るんだろうとも思うし。
痛みが薄れれば、あれがなかったことになりはしないかと恐ろしい。
どうしたら失くさずに私を苛まさせずにあれを残して置けるのか、考えています。


薬暦を確かめようとして昔の日記を漁っていたら、なんかあまりにも昔のことでギョっとして、いや、ハハハまあ、42℃自体は19の頃から運営しているわけだし、今23だし、通院始めたのはアー、20? だからほんと大分経つなあって。
人事だと、通院20年、とか聞いても知識としてそれくらい普通(の場合もある)と知ってるから、3年くらいどっていうこともないんだけども、自分のこととしてこう、この先どうなるんだろうと思うと、途方もないですね……3年か……。
病院行ってハイ、うつですねー、薬飲んでゆっくりしてれば半年くらいで治りますよー、とは誰もが言われるもんなんですが、実際それも間違いじゃないんですが、半年で治るのは大人になってからの生活環境の変化なりなんなりのストレスでうつになった場合の話しで、もともと健康な人の話なんだよね。
元が病んでてとうとう体にキたタイプは根が深いから長いんだなーぁ、とこの頃ではしみじみ。
そもそも、治る、とかいう話じゃないんだろうなー。とも思う。
どうやったらこの自分を捻じ曲げないで生きていけるか、ていう話なんだろうな。

しかし社会復帰はいつの話になるんだろう、と思うと途方に暮れてしまうんだな。
焦っているわけじゃなく……、気持ちはそりゃ、早く復帰したいと願うけれども。
これだけぐだぐだやってるのを見ると、私はまだ何か処理するべき問題を抱えているのかもしれん。まだ変わるべきところがあるのかもしれん。
あるんだったらさっさと見つけたいもんだなー。
カウンセリングでも受けたいが、今以上にお金かけるのやだ……(本音)……おのれ自立支援法め。
秋のお呼ばれシーズン。に呼ばれるのは私じゃなくて姉なわけですが(笑)
結婚行進曲の歌詞にあるじゃないですか、アイラブユーフォーエバー。
なんかこう……ロマンチックに高らか~に流れれてくるわけなんだけど、ちょっと考えたらぞっとしちゃって。永遠に愛を誓うってどういうことだろうって思ったら。
誓う、ていうことは約束することだよね。
気持ちを約束するってどういうことなんだろう。
約束っていうのは、取り決めのこと。取り決めること。
こういう場合は決意という意味あいで使うんだとはわかってるんだけど、約束、というとどうしても契約の意味を思ってしまう。
なん~かしっくりこないんだよなあ。
将来……未来の自分の感情を取り決めてしまう、というのが。
なんか今が頂点みたいな感じがしておもんない。
毎日更新すりゃええねん愛なんて。
愛のその先があるかもしんないじゃん。スーパーラブとか。ウルトララブとか。ハイパーラブとか。

多分私は「永遠の愛を誓います」とは言えないなあ。本心じゃない。
言うなら「一生この人と添い遂げます」だな。それなら約束できる。


結婚に夢を見ていないのは逆に青いってことなんだろうなー。
はやく大人になって結婚に憧れたいな~
痩せすぎなモデルを規制する動きが出ているというので、嬉しい。
痩せている=美しい=いいこと
というのは間違いだ。
ほっそりしているのが美しくないとは言わないが、不健康なほどにやせ細った姿を愛でるのは、纏足した足を愛でるようなものだと思う。

纏足という文化を知っているだろうか。
「てんそく」と読む。中国の高貴な女性に施された美容整形のひとつだ。
まだ幼い子どものうちに、足の骨を砕き、きつく布で締め上げ、足の成長を止める。それをされると、足の大きさは大人になっても10~15センチくらいにしかならない。
小さな足では安定せず、おぼつかない、ぎこちない歩き方が女性をいっそうかよわく見せ、男の庇護欲や支配欲をそそったという。
他にも、囲われた女性が逃げないようにという意味があったらしい。

長きにわたった伝統文化ではある。
が、女性を侮蔑した、忌むべき恥ずべき文化でもある。

過度のやせ崇拝は、これと同じことだ。


もともと足が小さい人をよちよちしてかわいいなあ、と思ったり、
もともと痩せている人を、すらっとしてかっこいいなあと思うのは別にいいと思う。
が、強制的に作ったものを賛美するのは好かない。な。


しかしまあ、自然とあるものを食べて、そこにある車や機械を利用して生活していれば一方でメタボリックシンドロームなんてなってしまう昨今なので、体は自分で意識して作らなければならないのだとも思う。
美意識というものが健康志向に変化していくことを望みます。
だから、こういうニュースは嬉しかった。
痩せてるってそんなにいいことじゃないっていうのが普通になれば、太れなくて悩んでる人が「痩せてていいわね」ねんて無神経なこと言われることも減るだろうしvv
 
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