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ホントは改装とかしたいんですが、そこまで余裕ないので模様替え。バナーも変えてみました。
壁紙のイラストは、デイケアで砂絵を描くつもりでデザインした下書きにPCで色をつけたもの。を加工したもの。時間切れて結局砂絵にはなってないですが(笑
時々こんな絵も描きますという話。
BBSをかわいくしたいんですがうまくいかなーい。
とりあえずしばらくはこんな感じでいきます。切手部分の写真も自作ですよ。というか古い写真を容赦なく使いまわしてますね笑! 私の目です。3年くらい前に作った写真だったかな。


☆レス>やちよさん
うん、好きです。いや、好きというのとも違うのかな……私を形成した本の一つです。ゲド戦記。是非読んでみてください。
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ゲド戦記についてです。
非常に長いので、やわらかく表現すべきところもかなりかたい表現になっています。また、各関係者様の敬称も略しています。敬意がない・軽んじているわけではありません。ご了承ください。
興味のない方はスルーしてくださいね。「続きを読む」機能がついているといいんだけどなあ、ココログ……


まっさらな状態で感想を書くべきだという思いもありましたが、こうして公共の場で意見を述べる以上「発信者」として一定水準の情報は得ておかなくてはならないだろうということで、各所で情報を集めました。

原作者のコメントの和訳ページ(http://abnormal.sakura.ne.jp/entry/log_932.php)を教えてくださった方、ありがとうございます。参考にしました。自分でもざっと原文を訳してみましたが、おおむねあのとおりで間違いはないと思います。
原作者の公式サイトはこちらです。<Announcements>にゲド戦記についてのコメントがあります。
しかし彼女の文章は相変わらず簡潔で美しいなあ……

ここで少し各方面からあらましまとめてみます。


・20年前(当時ゲド戦記は「影との戦い」「こわれた腕輪」「さいはての島へ」の三冊が出版されている)、宮崎駿よりゲド戦記をアニメ化したいと申し入れがあったが、断る。宮崎駿の作品を見たことがなく、またアニメに良い印象がなかったため。
・数年前に初めて「トトロ」を観る機会があり、駿の才能を認める。
・翻訳の清水真砂子氏を通じて駿にゲド戦記のアニメ化をル=グウィンから提案。
・映像化にあたり、それなりのオリジナル創作の必要を認めつつ、原作を根本的に改変することは賢明ではないとあらかじめ強調。

・駿は、ゲド戦記から得たものは既に今までの映画に盛り込んでしまっていることなどから難色を示す。
・しかしプロデューサー鈴木敏夫は渡りに船でやってしまおうと話を進める。
・鈴木、ゲド戦記の企画検討会に吾郎を呼ぶ。吾郎腰掛のつもりで参加。
・流れで吾郎が監督になる。(※吾郎の意思ではない)
・駿は反対するが、鈴木は企画を推し進める。

・2005年に宮崎駿とプロデューサー鈴木敏夫がル=グウィンを訪問、駿は自分が全てに責任を持つ、とル=グウィンに伝える。それはどういう意味か、と彼女が問い返し、駿と鈴木の間で「彼女は駿がプロデュースするのかと問うている」「自分(駿)はそんなことはできない」というやりとりがあったが、そのやりとりの意味はル=グウィン側には伝わっていない。
・ル=グウィンは映画作成が駿のチェックが常に入る状態で進むことを信じて契約を結ぶ。

・以後、急ピッチで映画製作は進む。
・駿はグ=ウィンに会う前に一枚絵を描いたきりで、以降はノータッチであった。
・ル=グウィンに対し駿は自分自身の映画制作からの引退を表明、ゲド戦記に監督として関わらないことを説明したが、現在次の映画を作製中である。

(吾郎のインタビュー http://www.dai2ntv.jp/common/misc/kochi2/interview/gedo/)
(鈴木敏夫のインタビュー http://www.ghibli.jp/20special/000457.html
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_20051226.htm)

吾郎については割愛します。彼はアニメーション・ストーリー制作について全くの素人だということ、鈴木プロデューサーに巻き込まれて右も左もわからぬうちにいろいろなものを背負わされ、世間からは祭り上げられて身動きのとれない人物だということだけ理解していればいいかと思います。彼自身の浅慮も責められるべきではありますが、それ以上に強烈に作用したものが、今の結果を生んでいます。庇いも責めも私はする気にはなりません。同情はします。彼は自分の身も他人の大切なものも守れなかった被害者です。彼に対する批判はしつくされたと思います。日本人は彼をそっとどこかへ逃がして、忘れてやるべきではないでしょうか。そして彼はそっと姿を消すべきです。



映画に関しての情報はこのくらいでいいでしょうか。
原作者のコメントでもう全てが言い表されていますが、私自身の言葉を聴きたい人もいらっしゃるのでやってみます。
以下は詳細にネタバレです。



映画を観に行く前の心構えとしては、「楽しい、いいところを頑張って見つけてこよう」でした。
私は今22歳。初めて読んだのは小学校中学年の時でしたでしょうか。当時まだ三巻までしか発表されていませんでした。半生をかけて原作の完結を待ってきた人間です。
原作への思い入れは半端ではない自分を十二分に自覚していましたので、原作ファンとしてのこだわりはきちんと横に置いてから観るようにしました。好きなものに色がついているだけで嬉しい、と思う謙虚さを自分に求めながら席に着きました。おそらく、自分は全く満足しないだろうと予想し、また全くのオリジナルストーリーにされていることも予想してありました。それを受け入れる準備もしてありました。

映画を観た時の感想は、「どこがゲド戦記?」でした。
全くゲド戦記でないものが「ゲド戦記」を名乗ることへの怒りでいっぱいでだった。
怒りのあまり声も出なかった。もしもちょっとでも口を開けば、大人として恥ずべきような汚い言葉を公衆の面前で喚き散らしただろう、と思います。

そんな感情の部分はあまり語りたくないです。
できうる限り客観的になっての話をします。


ゲド戦記と、鈴木・吾郎作品定(以下、原作を「ゲド戦記」または「原作」、映画作品を「鈴木・吾郎作品または「映画」と表記します)はストーリーもキャラクターの設定も全くの別物です。
ハイタカ(ゲド)・アレン(レバンネン)・テナー・テルー(テハヌー)・クモ・ウサギという名のキャラクターは確かにゲド戦記に登場します。
鈴木・吾郎作品はアレンを主人公としており、またアレンが主人公的に登場するゲド戦記三作目「さいはての島へ」を中心にストーリーを組み立てたようです。ですので、以降、原作三作目に時間軸を固定して話を進めたいと思います。

原作のアレンは、国の使節としてゲドの元を訪れ、使命を持ってストーリーに沿うていきますが、映画では「影に追われ逃げる少年」として登場します。原作第一巻で自分自身の影に追われた若きゲドの要素を盛り込んだ形です。
アレンは17歳です。原作のアレンが17歳で、ゲドと共に旅をしている時、テルーは八歳くらいの小さな子どもです。父親を含む大人たちにに虐待され、強姦され、火の中に放置され捨てられ、一人農園を営むテナーがそれをひきとります。映画では二人はホークタウンの近郊に住んでいますが、原作でははるか遠く、ゴントで生活しています。テナー・テルーとアレンが出会うのは、「さいはての島」でゲドとアレンが役目を果たした後のことになります。
原作のアレンとテルーは恋仲的なことには全くなりません。テルーは美しい歌は歌えません。声帯にまで火傷を負っているからです。
テナーは白人ですが、金髪ではありません。黒髪です。
映画で敵の魔法使いとして描かれているクモは、実際は原作に出てくるやはり適役に位置する魔法使いアスペンの役どころでしょう。クモはお城になど住んでいないので。
ウサギは、原作では力を失い、ハジア(麻薬)に浸りきっている魔法使いです。

原作と映画の違いを上げてみたのは、どこが違うかを言いたいわけではありません。
吾郎が「ゲド戦記」の何を汲み上げ、何を使いたかったのか、よくわからない。ということを言いたい。

「世界の均衡」「モレドの血」「ゴントの織物は縦糸が六本」「大賢人」「タカ」「アチュアンの墓所」「昔、竜と人間はひとつだった」「レバンネン」「テハヌー」「光は影に」「生は死に」と、原作読みましたよ~とアピールするための用語が映画と広告のなかにはちりばめられていました。
けれども、ストーリーもキャラクターもオリジナルのものでした。世界観は、似せたつもりだと思われますが、読解しきれていないことを感じさせました。
原作を感じさせたいのか、それとも自分の創作を前面に出したいのか。どっちつかずです。(「どうしたらいいかわからなかった」が吾郎の回答であることはわかっているのですが)
あそこまで創作を施すのならば、たとえ原作の世界観であってもオリジナルのストーリーに不要な用語や表現はできるだけカットし、シンプルにするべきです。アレンはどこかの国の王子であればよく(モレドの末裔である必要はない)、ゲドは偉大な魔法使いであればよく(大賢人である必要はない)、テルーは竜になる必要もなく、私から言わせてもらえばテナーは存在そのものが必要ありません。
非常に個人的で主観的な感想を言わせてもらえば、原作のテーマにはかすりもしない内容であるにも関わらず、キャラクターや原作の負う背景や設定を高々と主張しウットリと萌えに浸っている二次創作小説を思わせて不快でした。


「均衡が崩れる」について。それが「均衡」のみであるならば。生と死、光と影、言葉と沈黙。必ず相対するものがある。これは普遍的なことで、さらっと出してしまっても差しつかえのないテーマです。しかしさらに「世界の均衡が崩れてきている」と言ってしまえば、何が増え、何が足らないのか、という説明はどうしても必要になりますよね。映画では、クモが生と死の境界をなくそうとして、農民たちは土地を捨てている。たしかに均衡は崩れています。じゃあそれがテーマか? といえば、主人公アレンにはさして関係ない事柄だったりします。アレンは光と影が分離して共にあるべきものが離れてしまってはいますが、均衡は……崩れているのかな……そうは見えませんでした。「影の部分の彼しかここにいない」という状態ではありましたけども、アレンの光の部分はどこに追いやられたわけでもなく、なくなってしまったわけでもなく、半身を求めて追ってきているわけですから。
つまり映画では、世界のテーマと、アレンのテーマが一致していません。
「世界の均衡」をテーマに据えたかったのであれば、アレンは影(光)に追われている必要はなく、父王を殺している必要もありません。ちょっと自分探しの旅に出ている王子様が世界を垣間見た、で事は足ります。
アレンの父殺しや分裂が均衡の崩れに起因するのであれば、出奔する前のアレンの身の回りにそのような描写が必要です。しかしアレンの環境は(高貴の家としては)ありふれたものでしたし、アレンの周囲には悪意さえ存在はしていませんでした。(母親の無関心、というのはありましたが)
世界の均衡が崩れるのと一緒にアレンの心の均衡も崩れた、冒険を通じて世界の均衡を取り戻され、アレンもあるべき自分自身を取り戻した……という筋書きならきれいにまとまったかな、と思うのですが。

映画のアレンの父殺しは、出奔の理由として、脚本の都合により取り付けられたものだそうです。吾郎が明言しています。父殺しを起点にして展開するテーマなどは特別にはないようです。
……なくていいの?(大声でぼそり)
アレンが父を刺す「理由・原因」は、はっきりとこれ、と指し示せるものがなくても構わないと私は思います。抑うつを溜め込んである日突然キレてしまう(ように周囲は感じる。丹念に読み解いていけば、昨今報道されるような子どもたちにもかならずそこに至るまでの過程がありますが、大抵一言では表せない)若者はたくさんおり、非常に現代的で身近な存在です。むしろアニメーション映画の主人公としてふさわしいかもしれない。
だからこそ、映画では「その先」を展開するべきでした。
アレンは父親を刺した自分をどうやって受け入れたのか(または受け入れることができたのか?)。その心はどのように変化したのか。彼はこれからどのように生きていくのか。ほんとうに償えるのか。現代人に問いかけるテーマとしてこれほど相応しいものがあったのに、もったいない。
映画のエンディングで、彼はすっかり許されたかのような顔をして、「償うために国に帰る」と言います。
誰に償うの?
国の、人の要を消してしまったことを、誰に、どうやって?
この終わり方は、道徳的に問題があるのではないかという意見が多いようです。「若ければ許されるのか?」と批判した方がいらっしゃいました。「希望を持てれば許されるのか?」と言う方も。「何故アレンはよくて、クモは倒されたのか?」。
解釈はいくらでもできますが、最低限映画の中で作り手の解釈が説明されるべきだった、と私も思います。



今日はここまで、さらに書くかどうかは不明です。
久し振りに台所にまともに立ちました。んでホワイトカレーを作りました。
カレーシチューじゃないよ。
でもどこが違うのかは私にはわからない。カレーシチューって見たことないから。母校の給食に出たことないんですよね。
で、ホワイトカレー。
カレー味のシチューでした(笑)
夏でも牛乳とれる感じで、いいと思います。
今度作るときは白ワインどぼどぼ入れて大人味にしようと思います。


「脳内に〜」時代の詩を整理しようかなーと考えています。多すぎるので精選して媒体を変えたい……
このところちょっと立ちくらみがぶり返しています。
あの脳天しびれる感じはいやだなあ…指までしびれるし。
暑いから血圧下がってるんだと思います。

あと久しぶりに食事の時手が震えたな−。今、祖母と祖母の妹が泊まりに来ているので緊張したんだと思います。
大きい声出されるの苦手だしなあ。(田舎の大家族系年寄りゆえ非常にかしましい)ずっとびくびくしてた(苦笑)。


明日は出かけたいな−。


最近拍手がいつもより多くてとても嬉しいです。ありがとう!
顔文字を……顔文字を決めようと思ったの。ビビエスとかレスつけるときに「かの読んだよー」っていうマークになるようなの。
頑張ったの。高校生の日記とかいっぱい読んだし顔文字サイトとか行ってみたよ。
だ、ダメ……
あそこは異国…………

というわけでごくごくシンプルな顔文字でしばらくいってみます。

(0д0。)

ほんとはニコニコ感が出るのにしたかったんだけどなー。


旅行から帰ってきました。背中がヒリヒリです。
楽しかったので後日写真とか交えてご報告しますね。


☆ブログなんだから私信とかレスとか分ければいいのにと思いつつ、やちよさんへ>
おひさしぶりですvv
かのでもそのでもよかですかv だいぶ安心しました。やちよさんがOKならいいことにしようーっと。(早い者勝ち)
フランクなブログにしていきますね。
ゲド戦記は……そのうち、きちんと文章にしようと思っていますが、まず原作に対して非常に失礼なクオリティであったことに怒っています。原作のテーマ性を読み込んでいない脚本だったなあと。それと、とても商業主義なのがあからさまで不快でしたー。
全く期待しないで行っても本当にダメージ大きかったので、観に行かれるときは、映像を楽しむだけくらいの気持ちのほうが楽しいかもしれません。
原作は是非読んでみてくださいねv
 
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